今年も終わりが見えてきましたね。
ギルドハウス十日町。もうすぐ丸3年が経ちます。

僕がギルドハウスに住み始めたのが2015年4月15日くらい。
パーリー建築と合流したのが同月末。最初は5人くらいで始まった生活でした。

 

▲初期マチコサンの真顔具合がやばい。

 

 

「最も長くギルドハウスに住み続けている住人」として生活しておりますが、最近は十日町のダウンタウンの空き家を管理するために人里へ降りています。26歳、ライフステージの変わり目を迎えている悩ましい年頃です。

今回のブログでは、十日町市にやってきた頃から身を寄せているギルドハウス十日町のこと。
それから、これからの関係性について考えていきたいなと思います。

 

ギルドハウスに住む経緯なんてなかった。

僕がギルドハウスに身を置くことになった経緯なのですが、実は経緯そのものがありません。

住み始める時には「西村さん」という人のことは一切知らず、ただ募集サイトを見て「面白そうだな」と即座にメールを送り、物件も内見も特にしないまま住むことが決まりました。ただ住もう。そう思っただけでした。

そうして僕が入居したのは、ハルさん達が住み始めて3日後くらいのことです。

最初の住人ということで、最も良い個室を与えられましたがドアがなかったので苦労しました。
春の兆しが見えてきた頃とはいえ、朝方は冷え込みます。早朝4時頃に身体の震えで目が覚めた時には「こういう世界観が自分には合ってるな」と己の先見性に確信を得たものです。

▲やばすぎたので、急遽石膏ボードを打ちつけて、落ちてた襖をはめました。

 

 

それから、住む人が変わり、訪れる人が変わり。
事件や事故も思い出として積み重なって参りまして、「ギルドハウス十日町ってどんな場所?」という質問に対しては、自分が体感していったこと全てが「ギルドハウス十日町そのものである」という何かの訳わからん境地のような場所におりました。

 

しかしながら、3ヶ月ほどギルドハウスを離れた後にハルさんにギルドハウスってどんな場所なんですかね。と、話をした日があったんです。

 

 

ギルドハウスはどんな場所なんだろう

「う〜ん。一言でいえば『西村さんの家』だね。家に『ギルドハウス十日町』という名前をつけて開いているというだけで、あとはただ、どんな場所に思ってもらっても良いし、色んな定義があってもいいんだよね。」

そんな返答があって、自分の至った悟りのような境地は間違いじゃなかったようでした。
明確な境界線もないし、指し示される方向性もない。決められたことなどない。

 

ファシズムが台頭しそうなほど自由が約束されている家。

 

たこ焼きに勝手にドッグフード入れても大丈夫だった。

 

蛇捕まえて、キッチンに放置した後に調理しても平気。

 

落ちてた女性用下着を着用しても大丈夫だし、部屋を魔改造して赤くしても問題ない。

 

 

 

▲誰のか知らんけど、共有スペースに置いてくのが悪い。

 

▲キッチンで蛇焼いて食べたら、すごい匂いだった。美味いけど。

 

そもそもギルドハウスDIY期は、そんな自由さで場所が作られていっていたなと思い出します。

パーリー建築の仕事だった「キッチンの修繕」が終わった後も廃材と流木を集めてつくったバーカウンターが出来て、白く塗られた壁はライブペインティングによって作品によって埋まって。玄関の天井はハルさんがいない間に吹き抜けになりました。

 

ここで一つ質問です。

「何をやってもいいんだよ」と言われて、あなたはどんな感情を抱きますか?

ワクワクする人もいれば、戸惑ってしまう人もいる。何をしたら良いか教えてくださいと言う人もいるかもしれません。
色んなことに縛られる世の中ですが、「何をやってもいいんだよ」と言ってくれる家がギルドハウス十日町です。

 

「何をやっても良い」と言われて何をしますか?

なんとなく、ギルドハウス十日町がどんな場所なのか分かってもらえそうでしょうか。
まだまだ、書きたいことはあるのですが「インタビュー」までして書き起こした記事が近々公開されるので、是非とも見て欲しいです。

 

 

さて、「何をやっても良い家」というのがしっくりくるのでこういう言い方をしましたが、僕から言いたいことが二つあります。

一つ目は、矛盾を孕んだ言い方ですが「自由だからこそ、秩序がある」ということ。

 

「何をやっても良い」ということは、極端な話を言えば「誰かの自由を侵害すること」「喧嘩すること、中傷すること」「住人同士でトラブルが起きること」も良しとされているわけです。取り締まられている訳じゃない。本当、極端に言えばですよ。

社会の中にも多くいますが「言葉を額面通りにしか受け取れない人」がいます。
「何をしても良い」という言葉しか受けとれないと、ストレスを感じることもあるかもしれません。

 

二つ目は、本来ならば人生そのものが「何をやってもいいもの」ということ。

 

僕らはルールや規制の中で暮らしています。ギルドハウスと同じく「何をやったって良い」のが人生の本来の姿。
ギルドハウス十日町では、そのことを思い出させてくれるのではないかと思います。

ただ自由というのは、「誰かにとっては心地良さ」「誰かにとっては苦痛」を生み出すのかもしれません。
目指す方向を自分で決めて歩きだすということは、「何が起きても自分の選択の結果」であって誰かのせいにはできないからです。

ギルドハウス十日町は、ゆるりとした血の通ったあたたかな人間関係が交換される場所である一方で、そういった人間的な自立と成長、メンタルタフネスを鍛えていける場所なのではないかな。

 

これからの僕とギルドハウス

多くの人の人生と心の変化を見守ってきました。ギルドハウス十日町。僕とて例外ではありません。
僕が3年近くを過ごした部屋がございます。

 

▲かつての我が部屋。現在は魔空間となっている。

この部屋は永遠に僕の部屋(実家に部屋が残っているような感じ)として存在し続け、僕はこれからも住人であり続けます。

しかしながら、年明けには「ラグジュアリーなゲストルーム」としても生まれ変わらせる予定です。

ギルドハウスで「自由の重圧」を感じながら、暮らしてみたい。そんな人は是非、どうぞ。

これからもギルドハウスを人生に取り入れて、楽しく暮らしていきたいです。

The following two tabs change content below.
大塚眞
地域を開く、地域を拓く。 十日町のことを「つまびらか」にしながら、外に大きく開いていく。 Co-lab Mediaとおかまちを通して、"地域びらき"を実践することで多くの「モノゴト」が起きれば良いなと思っています。この写真、目がイッてますね。